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私が挑戦する理由。

ブログ
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こんばんは。東村山市のかくたかづほです。
本日は朝、東村山駅東口でご挨拶をさせていただいたあと、地元を回っておりました。

さて。
改めて、なぜ私が東村山市議会に挑戦を決意したのかということを今回はブログに認めたいと思います。駄文になる可能性もありますが、思いの丈を書きます。

大きく分けて3つほど理由はあるかと思います。

その理由をお伝えする前に、私が政治に興味を持った理由をお話ししたいと思います。ほんの数年前まで政治なんて本当に興味ありませんでした。選挙権を20歳になってもらい、その後選挙に行ったのも数えるくらいしかありませんでした。当時は大学生ということもあり、入っていたマジックサークルが劇的に忙しく(後日ブログでも書きたいです)、また大学4年次は、内定者インターンとして休みなど関係なく働いていたので、選挙というものの存在さえ気にしていませんでした。タイミングが合い、選挙に行った際も、「母校に行けるから」くらいの軽いノリのようなもので選挙に行き、投票をしていました(今ではそんな理由でも選挙に行くことは大切だという考えになりました)。
そんな私がなぜ政治に興味を持ったのか、それは長くなりそうなので、後日にします。

話を戻しますと、改めて「なぜ選挙に挑戦しようと思ったのか」についてです。
大きく分けて理由は3つです。

・地元だから
・事業者として
・当事者として

ひとつずつお話ししていきます。

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地元だから

どこからどう話しても、私は東村山で生まれ育ち、麻の実幼稚園、化成小学校、東村山第四中学校に通っていました。生まれた病院さえ、母の関係で大塚病院でしたが、21歳までの全てと言っても差し支えないくらい東村山市で育っています。
大学を卒業する前に内定者として、渋谷区にある初台駅の近くに引っ越しをします。その後、大学卒業後海外に行くまでは一瞬ですが、東村山に住んでいました。その後、海外から帰国して、1ヶ月ほど。独立して、様々なことがあるまで東村山を離れていました。そして、今でもなお尾を引いている新型コロナウイルスの影響によって、2020年3月に実家がある東村山市に帰ってきました。
実に人生の80%以上を東村山で過ごしているのです。帰ってきた理由はたまたまであっても、海外や都心などで企業や会社員として働き、地元に帰ってきた時には感じるものはたくさんありました。

単純に店が減っている。シャッターが増えている。同級生がいなくなっている。両親が歳をとっている。なんとも言えない閉塞感が漂っている。などなど

いやでも感じてしまいました。過去が最高だったかというとそうではないかと思いますが、私が育った頃よりも活気がなくなってしまったと感じざるを得ませんでした。
そんな地元をなんとかしたいと思い、民間から多数事業を作り、今日に至ります。そこでまた感じたこともあります。

事業者として

地元で起業するなんて全く考えてもいなかったわけですが、なんとか毎日やらせていただき、初めての東村山での創業から2年以上が経ちました。たくさんの方々とイベントや企画など様々な形でご一緒させていただく機会がだんだんと増え、気づけば知り合いや友人も増えていました。
そんな中、ありがたいことに市役所から相談をしていただいたり、とある企画を持ち込んでいただいたり、行政側との接点も増えてきました。そこで気づいたことがあります。

「今の行政制度は完璧ではない」ということです。

何事もそうですが、完璧などあり得ないと私は考えています。だからこそ、日々の積み重ねや毎日の少しずつの変化をして、より良いものにしていき、より快適になっていくのだと考えています。行政サービスとはこれまで接点がなく、考えたこともなかったですが、関わってみると「??」と思うことも多いです。
事業をやっていく中でも感じることもありますが、日々の生活をしていたり、友人と過ごす中でも「これってこっちの方が使いやすくない?」ということも多々ありました。

いまだに紙しか許されていないこと。二度手間なんじゃないかと感じてしまうこと。それは本当に利用者のためになっているのかということ。などなど。

そう言った中で、「自分だったらこうするのにな」と感じることも増えてきました。私もスタートアップやITベンチャー企業にいた経験もあり、流行には比較的敏感な方で、新しいサービスなどすぐになんでも自分でやってみるタイプです。そう言った新しさという名の便利さという考えをもう少し行政側にも持ってほしいなと思うようになっていきました。

今の市議会を見ても、比較的若い人が少ないです。
一番若い議員の方でも30代後半。20代〜35歳くらいまでの議員がいないのが実情です。私ももう20代後半なので、この幅の中では真ん中くらいになってしまいますが、それでも比較的若い人の感覚を市議会に反映させていきたいという想いを持っています。
10月1日時点で東村山市内の20代は1.5万人ほどいます。人口の1割です。ということはもう少し反映されてもいいのではないでしょうか?

当事者として

20代の議員がいないのは、それだけでわかりやすい課題だとは思いますが、さらに私は当事者として感じることもあります。20代も後半ということもあり、そろそろ結婚や子育てなど様々な人生のターニングポイントが訪れてくる可能性が高いです。そう考えた時に、今の東村山で結婚して子育てするのは本当にいいのだろうかとぼんやりと考えてしまうことが多々あり、避けることはできません。

子ども食堂を始めるようになり、子どもたちのと接点、親御さんとの接点も増えてきました。上記のようなことを自分ごととしてより考えられるようになってきました。親御さんの話を聞いていると、東村山市の子育て政策は決して十分とは言い切れません。全部を否定したり、抜本的に変えるべきとは思いませんが、それでももっと良い形にできるのではないかと感じざるを得ません。

子どもは東村山市の宝であり、未来です。

子どもがすくすくと伸び伸びと成長できるまち東村山。よりそれを実現していくために、そして当事者として、挑戦しようと決意をしました。

まだまだ私も勉強不足なことが多いです。
しかし、これまで市内でもやってきた事業や人生の中で創ってきた事業や仲間、経験はあります。そのビジネス経験や東村山への想いは誰にも負けません。さらに言うのであれば、国会議員秘書として、初当選する前から2年ほど経験を積んできました。政治の最前線を見てきました。海外でも経験があります。

それらを全て活かして、もっと住み良い東村山を目指して、全力で取り組んでいきます!
今日は思いについて書かせていただきました。
それでは。

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