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【当選】お騒がせいたしました。

ブログ
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こんばんは。
東村山市のかくたかづほです。

2日明けましたが、改めましてブログにて書いていきたいと思います。

日曜日未明、開票があり、なんとか無事当選させていただき、スタートラインに立つことができました。1週間お騒がせしました。
ここからがスタートなので、しっかりと皆さんのためにお仕事ができるようにまずは慣れていきます。

さて。
選挙期間中の記憶は毎日が怒涛すぎて正確な記憶がもうほとんどないですが、忘却録的に少し思い出せる範囲で書いておきます。

朝は始発から駅に立ち、少し休憩して、車で回る。お昼休憩後はスポットで演説しながら、チラシを配ったり、走ったりしていました。その後は駅に立ち、20時以降は挨拶活動。
そんな1週間を送っていました。

日に日に確実に「期日前で入れたよ!」と言ってくださる方が増え、毎回涙していました。というより、選挙戦初日に行った出陣式でも冒頭演説で涙してしまいました。
東村山市に帰ってきたから3年間。本当に様々な方に支えられて、時には失敗もしながらもなんとかこの場所に立つことができ、マイクを握ることができている。そんなことを思い出すだけで、涙が出てきてしまい、それと同時に負けられないと思うようになりました。

最終日のマイク納めでも号泣してしまいました。
私には組織や団体は一切ありません。だから、本当に選挙戦も不安で、どなたが入れてくれたのかは本当にわからない。例えるなら掴めない雲を一生懸命掴んでいる。そんなような日々でした。だからこそマイク納めに来てくださった方々には感謝しかありません。団体の方ではなく、子どもが多かったのも特徴かもしれません。

開票日もこれまで出会った仲間がたくさん来てくれました。
小中の同級生やお店の仲間、近所の人たちや他のイベントで知り合った方など。選挙はよく「人生の縮図」とも言われますが、改めて地域コミュニティ研究家として様々なことを地域でやってきてよかったなと感じました。

当選が決まった時には、私らしく万歳はしませんでした。
その場にいた仲間と抱き合ったり、握手などはしていましたが、万歳はしませんでした。ここからが本当の本番であり、仕事をようやくできるようになったからです。喜んでいる場合ではありません。少しでも早く、少しでも多く、皆さんのためにできることをやっていく。その一心でこれまでもずっと活動してきましたが、今回の当選によりその範囲が増えることとなりました。

翌日から東村山駅西口に立ち、これまでお声かけいただけなかった方にも「これからも応援してる!」「入れたよ!」などなど様々なお声いただきました。なぜ東村山駅西口にしたのかというと、私自身が育った場所であり、一番お世話になった場所だからです。実家が野口町1丁目にあり、高校や大学はそこから通ってました。だからこそ一番間近で変化を見てきた場所でもあり、思い出が一番ある場所でもあるのです。
他の市議さんもたくさんいましたが、なんだかほほえましかったです。皆さん志は同じ。東村山市をよくしたい。この一点に曇りはないはずです。

その後、少し休憩を挟み、市民センターにて、当選証書授与。

議員バッジも頂きました。

そして、議場に移り、説明。
この資料も渡されました。

ペーパーレスとは程遠い世界なのかもしれないと感じましたが、横にいたベテラン議員さんが「あれ?だいぶ減ったね」とおっしゃっていて、昔よりはペーパーレスが減ってはいるということも知り、まだまだできるかもなと感じた初日でした。

初日には様々なことがありましたが、その後ついに体力の限界がきて、翌日まで寝込んでおりました。1週間無理をさせてしまった自分の身体に感謝しつつも、これからの活動に期待や不安を募らせつつも、まずは慣れることを最優先に動いていきたいと思います。

もちろんその過程で頂いた陳情に関しては対応しつつ(早速本日頂きました)、皆さんのお役に立てるように引き続き努めていきます。
そして民間感覚を失わないようにしながら、引き続き地域コミュニティ研究家としても活動を続けていきます。

選挙期間から当選翌日までの忘却録でした。
今後も折を見てブログ書いていきます。

それでは。

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